第241回佐保カルチャー

 

   古典そぞろ歩き

    

    山口裕子先生の古典講座(2)

     神話と歴史の間 【古事記・日本書紀】

   

 

   講師   山口裕子先生

   日時   令和2年12月1日(火) 午後 1時30分~3時

   会場   奈良県文化会館 2階小ホール  参加人数 30名   参加費 500円  

 

 新型コロナウイルス感染者数が増加しています中、検温、手指消毒、十分なソーシャルディスタンス、換気などのコロナ対策を取りながらの開催となりました。

 さて、本日の講座は、「何故、八世紀の同じ頃につくられた二つの歴史書、古事記と日本書紀が存在するのか?」という問いから始まりました。

 古事記と日本書紀は、共に、天皇家が正当な支配者であることを示すためのお話からなりますが、古事記では木簡など私的な場面で使われていた文字が使われ、日本書紀では正式史書で使われていた文字が使われており、古い日本語の語りを生かした物語が古事記で、国外に対して正装を施した歴史が日本書紀であったと解説頂きました。

 次に、大和朝廷が日本を制圧していく過程を一人の人物の話にまとめた、ヤマトタケルノミコト(倭建命・日本武尊)のお話を、読み比べました。

 景行天皇にその荒々しい性格を恐れられた古事記の倭建命は、熊曾征伐に引き続き、東征を命じられ、父親が自分の戦死を望んでいると嘆きつつも全ての戦いに勝利します。ところが、自らの驕りで、伊吹山で神の怒りを買い、能煩野で故郷を思いつつ命尽きます。その後、その魂は大きな白い鳥となり御陵から飛び出し彷徨いますが、結局、虚空遥かに飛び去ります。このように、倭建命は、天皇の治めた国に納まりきらない魅力的な人物に描かれており、若山牧水の「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の歌につながるという説明にも頷けました。

 一方、日本書紀の日本武尊は天皇の作ったヒエラルキーの中で、忠実に天皇に尽くす最愛の息子として描かれており、粗筋は同じでも、人物造形には大きな違いがあるという解説は、大変、興味深いものでした。

 最後に、応神天皇の腹違いの三人の息子の皇位争いと、次男の仁徳天皇のお話を説明して頂きました。日本書紀の方が、オーバーな話の筋になっていますが、記紀ともに、長男の反乱、次男と三男の皇位の譲り合い、そして皇位を継いだ仁徳天皇が人民の困窮を知り、租税・課役を三年免除し、仁・徳のある天皇と崇められたというお話です。ところが、実は、譲り合いではなく、奪い合いで、数年続いた内乱に困窮しきった人々から課税どころじゃなかったという現実を天皇家の歴史に書けますか?書けないよね、という、山口先生の謎解きは、大いに納得でき、本当に面白く思いました。

 また、八世紀の文献が、日本書紀だけでなく、平安貴族たちには無視された古事記も、中流貴族たちが書き継いだのか、原文に近い形で残っている日本文化の豊かさにも触れられました。二十一世紀の私たちが、古典を通して、その豊かさを享受できる幸せを、参加者の皆様とともに、感じることができました。