第239回佐保カルチャー

 

   詩は人類を救えるか part2  - 詩人たちの挑戦 -

 

        講師  大阪市立大学名誉教授   村田正博氏

 

     日 時: 令和3年12月4日(土) 午後1時30分~3時

     会 場: 奈良市中部公民館 第3・4講座室 (奈良市上三条町23-4)

     参加費: 500円(学生は無料)      参加者: 50名

 

 

   新型コロナ感染症の影響で、昨年と今年6月、2回延期になっておりました第239回佐保カルチャー「詩は人類を

  救えるかpart2ー詩人たちの挑戦―」を、12月4日(土)に、奈良市中部公民館第3・4講座室いっぱいの50名の参加

  者の方とともに、無事開催することができました。

 

   村田先生にとって、「詩を見えるようにしてくれたキーワード」である長田弘さんの「見えてはいるが、誰も見て

  いないものを見えるようにするのが、詩だ」という一文を指標に、「人生にプラスになるフレーズを見つけて帰って

  ください。」と、一昨年のpart1同様、ユーモアたっぷりのお話とともに8編の詩をご紹介頂きました。皆さん、笑

  ったり、村田先生と一緒にホロリとしたりとあっという間の1時間半でした。

   解説頂いた8編の詩は、長田弘さんの詩集『心の中に持っている問題 詩人の父から子どもたちへの45編の詩』から、

  父が子に、豊かな実りの下の無数の根に気付いて欲しいと語りかける「ライ麦の話」、物語を通して新しい友人に

  出会って欲しいと願った「本(1)」。

   山崎るり子さんの詩集『だいどころ』から、亡くなった人に好物を供える意味について深く考えさせられた「炊き

  込みごはん」。

   途中、幼鳥体操(手を後ろに回しバタバタさせる)と足首運動で、体力・気力を整えて、

  小松弘愛(こまつひろよし)さんの詩集『狂泉物語』から、昔は桃源郷だったが今は荒れ果ててしまった土地に住み、

  狂気の泉の水を飲むことで厳しい現実から目を逸らしている人々が、正気に戻ろうとする人を襲うという恐ろしいお

  話「狂泉」。村田先生の、「現実の世界で私たちも、襲う側だったり、襲われる側だったりしている」との解説にこ

  の詩の本当の怖さを感じました。

   1篇の詩ではありませんが、村田先生が大学時代に、ご友人から借りてコピーされたという佐藤愛子さんの講演か

      ら、お父様、佐藤紅綠さんが繰り返し書かれたバイロンの言葉「人は負けると知りつつも、戦わねばならぬ場合があ

      る」。人生、失敗続きだった佐藤紅綠さんが、失敗してどん底に落ちた後、その絶望から立ち上がるために、其処此

      処に書き残したこの言葉は、なかなかに儘ならない人生を送る私たちへの励ましにも聞こえました。

   由良恵介さんの詩集『まあるい一日』から、両親との折り合いが悪く故郷を出て、ホームヘルパーとして働く詩人

  が、いつ帰るともわからない子供のための布団を作り、まるで成績表をしまうかのようにしまっている両親をうたっ

  た詩「布団」。

   瀬野としさんの『詩集 菜の花畑』から、死にゆく妻をうたった吉野秀雄の短歌に、亡くなった自分の母を重ねた

  「縫う」。「読み手の私たちが自分の誰かを重ね、三者の心が一つになる」との先生の説明に、この詩が心に迫って

  きたわけが分かった気がしました。

   最後に、同じく瀬野としさんの詩集『線』から、タンチョウヅルの人工飼育に尽力する高橋さんをうたった「汗」。

   これらの詩を村田先生とともに読み解くことで、「気付いているが言葉にできていない何かを気付かせてくれ、ま

  た、コロナ撃退のような即効性はないが、リンゴの滋養のように心にしみる言葉に出会える」詩の素晴らしさを、し

  っかり実感することができました。